作曲や編曲も手掛けられているピアノ科講師・野田先生。
今回は先生より直々のオファーがあり、インタビューに臨ませていただく形となりました。
以前よりオリジナル曲を作られてる野田先生ですが、一体どのようなインスピレーションを基に作曲されているのか?
数ある楽曲の中から、あるエピソードを背景に作られた曲について、当時を振り返りながらお話しいただきました。
その話とは、あの日本を揺るがす未聞の天災、東日本大震災の時へと遡ります・・・
震災が新たな曲作りの境地を開いた!?
震災が新たな曲作りの境地を開いた!?
まず、当時はどのような心境の中、作曲に踏み切られたのかをお話しいただきました。
野田先生
2011年3月11日の東日本大震災時は、八ヶ岳の実家にいました。
Blog担当
ご実家近辺でも長時間停電などがあり大変な状況と伺っておりますが、どのような経緯で作曲の意志を固められたのでしょうか?
野田先生
実は、震災時からちょうど数年前に身近な人の死に遭い、引き蘢りがちな時期でもあったのです。
Blog担当
そうなんですか・・・となると、そのような心労が重なる状況を一変させたのが、あの震災ということになるのでしょうか?
野田先生
そうです。その時、「自分にできることは何だろう・・・」と考えた先に見えたのが、“作曲”という一筋の光。そして、亡くなった方への「レクイエム」を書くことに気持ちが向かっていったのです。思い返せば、あの逆境の舞台が、私に立ち直るきっかけを与えてくれたのです。
Blog担当
なるほど。苦境の最中であったからこそ、ご自身の奥底に眠る作曲意欲を呼び覚ますことができ、同時に人生の転機へと繋がっていった・・・これは予想し得なかった大変なドラマですね。
野田先生
ちなみに、教室HPのプロフィールで公開している『天使の子守唄』は、同時期に被災者の方を思いながら書いた作品です。この曲は、「君たちはひとりではないよ」というメッセージを込め、子供達に寄り添う気持ちで書きました。
〜君といつもいるよ〜
Blog担当
とても慈愛溢れる優しい曲ですね〜!
『碧のレクイエム』との隔たり
『碧のレクイエム』との隔たり
野田先生
一方、当初混声4部合唱曲として取り組んだレクイエム(のちの『碧のレクイエム』)は、一歩進むだけでも苦悶の連続でしたね。あの震災が引き越した事態の深刻さにより、ご遺族の方々の気持ちを思うと歌詞が思い浮かばず、何度も書き直しました。
Blog担当
そうですか。様々な葛藤があったのですね・・・
野田先生
完成したものを、一度は発表を試みました。しかし、結局は納得のいくものではなかったため、断念せざるを得ませんでした。
Blog担当
野田先生ご自身の意向と合致しなかったわけですね。
野田先生
そして、その後も曲の製作が進まない状況が続き、何年もの歳月が流れてしまったので、この曲をこのまま眠らせておこうと思いました。
Blog担当
なるほど。ただ、その曲が改めて息を吹き返したわけですが、どういう経緯があったのでしょうか?
『碧のレクイエム』から導き出した答えとは?
『碧のレクイエム』から導き出した答えとは?
野田先生
かねてから留学時代の恩師に、「弦楽四重奏を書きなさい」と言われていた事を思い出し、弦楽科チーフの田野口先生に演奏の意向を伺ったのです。
Blog担当
その結果は・・・!?
野田先生
有難いことに、田野口先生が演奏に快諾して下さったため、早速「弦楽四重奏」への編曲作業に入りました。
Blog担当
再度、曲に命が吹き込まれていくわけですね!
野田先生
はい。そこから、6年がかりでやっと書き上げた弦楽四重奏版『碧のレクイエム』。念願だったこの曲を、教室の講師の方々に演奏していただける日が来ることになり、とても嬉しいです。
Blog担当
こちらは、3月の発表会で演奏されると伺っていますので、今から待ち遠しいですね〜
野田先生
私もとても楽しみにしています。
Blog担当
なお、『碧のレクイエム』の歌詞は、発表会後の音源公開時に合わせて発表させていただく流れとなります。
野田先生
みなさん、発表会の後でも改めてご覧いただければ幸いです。
Blog担当
それでは以上、野田先生のインタビューでした!このまま発表会の成功に向け、上り坂を駆け上がっていきましょう〜
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